豊年虫は旧帝国ホテルを手掛けたフランク・ロイド・ライトに師事した最初の日本人建築家、遠藤新が昭和7年に設計し建築されました。
出入り口には鍵付きの引き戸があり、客室と客室の境に壁を作って「個室」であることを明確にしました。現在では当たり前の事ですが、日本建築の伝統にホテルの手法を持ち込んだ、当時としては非常に斬新なスタイルで後の近代観光旅館のモデルとなりました。
遠藤新は利用する人の目線で建築を考えました。
豊年虫でも、落ち着いた座敷の先に一段下げて広縁を作り、応接セットを置きました。広縁をおよそ7寸(21cm)下げて設えることで、広縁の椅子に座る人と座敷に座る人の目線が同じ高さになるように計算されています。
居住性を重視した新しい生活様式、畳と椅子が融合した客室です。
遠藤新はこの建築の中で、和と洋の融合という共通を試みながら、床の間をはじめとした各部屋の細部に至るまで、それぞれに異なる意匠を与えています。書で言う楷書、行書 草書のように「真」にあたる客室「蘭」を基本に他の7部屋を「行」「草」と変化を付け 館全体の設計に遊び心を感じさせているのも大きな特徴です。建築家が手掛けた旅館建築 の先駆けという意識もあったのかもしれません。